親の教えの功罪

何か目的があって召集されたコミュニティのなかで、賛成もせず、かといって反対もしない。これといった意見を言うでもない。日本人には比較的多いことかもしれないけれど、私にはこれが本当に理解にかたい。
イデアを出しあったり意見交換するのって大切なことだし「参加してるなぁ」という充実感につながる。ましてや自分の意見を採用されればなおさらだ。逆に自分と相反する意見があれば、それが気づきになったり、きっかけに新たなアイデアが生まれるかもしれない。理不尽なものなら看過もできないし。


「沈黙は、 雄弁に勝る。」(雄弁は銀、沈黙は金)
私の母はどちらかと言えば沈黙の人だ。前述の「比較的多い日本人」の一人、である。母曰く、意見がないわけではなくて「誰か自分と同じ思いの人が意見するまで待っている」のだとか。本当に何か言わねばならない時には発言するよ、とも言っていた。
しかし、やはり思ったことはきちんと自分の言葉で伝えられるほうがいいと思っていたらしく、母は私を「自分の意見は、自分で言える子になるように」と育てた。おかげで?私は自分が思ったことは忌憚なく言うタイプに育った。母の教育方針は実を結んだ、ということになる。

先日、母に「お母さんとは違って、自分が思ったことは自分で言うし〜」と言ったら、「言わなくてもイイことまで言う子に育ったかも…」と嘆いていた。


(゚д゚)ハッ!!