議論は続くよどこまでも?
あービックリビックリ。
数日前(男女間で)奢るとか奢られるという話題に興味を持ったので、
自分のスペースで思うことを少し書いた。
それに対してのコメントをいただいたり、他所で意見されたりしてる
んだけど、結局、読み手の色メガネ越しで思いもよらない解釈を
されちゃったり、熱く語りたい人たちにとっては(その熱が冷めない
ように?)自分に都合のいい部分だけ抽出して議論し続けたいんだ
なぁ…という感想くらいしかない。
色メガネというと語弊があるかな。考え方って、結局は自分の経験に
基づくものが大きいから、私にも大なり小なりあると思うし。
ただ、「そういう意見もあるのかぁ」と自分とは違う意見について
考えてみることをするかしないかは違いが大きいと思う。
あえて今回はリンクもトラバもしないでおく。
(理由:面倒だから。あと個人的感想であって反論じゃないから)
全体を通じて、私が言いたかったのは主にこんな感じ↓
- 支払(お金)ばかり気にしてると「食事」自体が楽しめない。
- 基本的に、私は男女どちらが払ってもいいと思う。どっちに転ぶかはタイミングと状況次第。
- 奢った相手から「ごちそうさま」「ありがとう」と言われて「払ってもらって当たり前だと思ってるくせに」と思うなら誘った相手を間違えた(失敗した)か、気持ちが狭いんじゃないかな。
- しかも、自分から「奢るよ」と言い出したのにそう思うのなら、言動と思考が一致しない人なのか、見栄っぱりな人。奢りたくなければ初めから『言わなきゃいい』のに。
- 上記のような人には奢ってもらわないほうがいいよ。
んで、関連があるっぽい日記やコメントなどを読んで感じたのは、
「奢る・奢らされる」に固執している人たちは
- 男性は「奢らされる」「奢らねばならない」みたいに思い込んでいる(あるいはそんな状況ばかり経験している)。<そうばかりでもないと思うんだけどなぁ。
- とにかくケチ。(そうでない人も一部いた)
- 『人間関係=損得勘定』←この図式が重要っぽい。
- 見栄は張りたい(から奢るよという)、格好つけたい(から相手はイイ女じゃないとダメ)、でもお金は出したくない。
- でもイイ思いはしたい。<このジレンマをどうするか?かな。
「今日は奢るよ」と素直に言えるような経験がないのかも。
可哀想だなぁ…と思った。