<需要と供給>

限られた言葉で語るには語弊がありそうで、あまり書かずに済ませようと思う。
(そのわりに長くなりそうな予感…)


とある「悩める知人」から、時々電話がかかってくる。どう悩んでいるのか?と言えば、かねてからの
不眠があり、最近は社会生活にも支障をきたしている(仕事に行けない)とか。


私は、友人としても元医療従事者のはしくれとしても、とりあえずは医者に診てもらって、必要な
カウンセリングや投薬などを受けるべきだ、とアドバイスをしてきた。
精神科や神経科のジャンルは自分が受診したこともないので、浅い知識しかないものの、不眠も深刻な
ものであれば加療が必要なはずだし、事実それにより軽減→快方へという話も聞く。


『今度(病院に)行ってみる』というのは常套文句で、なかなか病院には行かない。
正直、こういう人の場合は多くみられることなので、それについては何も言わない。
自分で『どうにかしなくちゃ!』って思わないことには、どうにもならないことだし。
『病は気から』の最たる例、というか。


時おりかかってくる電話で『ちょっと話そうよ』とか『声が聞きたくなった』とか、そう言われて、
最初は『あー、眠れないのか』『世間話でもして気を紛らわせたいのかな』程度に思っていたけど、
それも頻度が上がってくると、そうとばかり言ってもいられなくなってくる。


彼のバックグラウンドを多少知っているので、適当(いい加減という意味ではない)に話に付き合って
いたものの、『声が聞きたい』という電話に、どこまで応えていいものか?とふと考えてしまった。
私は心理カウンセラーでもないし、ましてや医者でもない。
『(声を聞くと)癒される』『なんかホッとする』と言われても、毎度それに付き合い続けるの?という
疑問と、それを求める相手は『私ではない』んじゃないか?ということ。


私には大切に思っている彼がいるし、その彼から『疲れた』とか『声が聞きたい』と言われれば、
できる限りそれに応えようと思う。『彼氏以外はどうでもいい』ということではなく、過剰な期待を
されても、私はそれに全部応えてはあげられない、ということ。
私からは、彼の需要のすべてを供給してあげられない。彼を癒すことができる別の誰かがきっといるはず。


自分の器が小さいだけなんだろうか?