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<やさしさの「質」>
「やさしいひと」というのが、誰の身近にもきっといると思う。
人に「やさしく」してもらうことも、日々の生活の中に何度もあると思う。
自分が人に対してそうしたい、という気持ちもあるだろうし、
そうされたい、という思いもあるはず。
「じゃ、やさしいってどんなこと?」
子供の質問じゃあるまいし…とも思ったが、いい機会なんでちょっと考えてみた。
やさし・い 【優しい】
(形)[文]シク やさ・し
(1)穏やかで好ましい。おとなしくて好感がもてる。
「気立ての―・い女の子」
(2)思いやりがあって親切だ。心が温かい。
「―・い心づかい」
(3)上品で美しい。優美だ。
「―・い物腰の婦人」<goo国語辞書(大辞林らしい)より>
んー、辞書的にはこうなるのか。でも、私が思うのと、ちょっと違う。
「能動的」なやさしさと、「受動的」なやさしさ、というわけ方はどうだろう?
たとえば、困っている人に手を差し伸べる。
何か(モノであれ言動であれ)を欲している人にそれを施す。
「あの人はやさしいね」と言われるのは、たいていこの「やさしさ」を
具現している人のことを指していると思う。
こちらは能動的なやさしさ。
その一方で。
何かの行動を起こしている、あるいは起こそうとする者に対してそれを許容する。見守る。
平たく言えば、黙って応援する…ということにもなろうか。
それは受動的なやさしさ。
能動的なやさしさは、わかりやすく示しやすいと思う。
そして受動的なやさしさは、能動的なそれよりもむずかしく
なかなか気づかれにくい気がする。
ごく私的なたとえで本当に申し訳ないが、いま付き合っている彼は
鉄砲玉と言われる私の言動を叱ることなく見守ってくれたり、それとなく応援してくれたりする。
時に私がかんしゃくを起こしたり拗ねたりすると、なだめたり諭したりしてくれる。
(本当に感謝しているし、自分は幸せだなぁ…と思う。)
「人それぞれ」というように「やさしさ」もそれぞれ。
意識せず自然に人にやさしくできたらいいな、と思い、また人のやさしさを
見過ごしてしまわないようにいられたらいいな、と思う。
う〜ん。ながながと書いたわりにはまとまりないなぁ。
しかも<Screw?>は辛らつなことを主に書いてしまえ!と思っているのに
コレじゃなんだかねぇ…失敗失敗。w