偉人や偉業を称えるとき。

twitterのタイムラインを眺めていると、著名人の訃報があった日には必ず「冥福をお祈りします」とか「R.I.P.」というpostがある。もしtwitterがなければ独りごちて終わるところを、同じ想いを馳せる(故人を偲ぶ)人と共感できたりするのはいいことかもしれない。
でも、訃報のたびに誰も彼もが形式的に先述のようなpostする必要はないと思う。*1
朝がきたから「おはよう」とか、ごはんを食べる時に「いただきます」みたいに言うのとはちょっと違うってこと。
訃報(にともなうニュースや記事)によって初めて故人の功績や遺業を知ったのに、さも惜しむらく…は違和感を覚える。端的に言えば、見知らぬ人これまでさほど関心がなかった人に惜別の念を抱くのは不自然じゃないのかな?と。
自分の興味がない分野の人にピンとこないのは仕方ない。惜しむのであれば、そんなスゴイ人を知らなかった自分の興味や視野の狭さじゃないのかな。

「遺業」ではなく、「偉業」を称えられたらいいよね。

*1:決して冥福を祈るなと言ってるわけじゃない