「怒りと痛み」に関する追記

個人的にはそれぞれ多様に解釈してもらえればいいや…と思ったんだけど、すごく曲解され否定的な印象を持たれたままってのもなぁ、ということで少し追記。
こういうことを書かなくてもいいようになると文章力や表現力があがったってことなんだろうなぁ…なんて思ったり思わなかったり。

「怒る」と「叱る」という言葉

「“叱る”のはいいけど、“怒る”のはダメって言うじゃない?」という話をよく聞く。
それは子育てとか教育の場において言われる話であって、子どもや目下の(もしくは未熟な)相手に対し、単に自分の感情をぶつけるのではなくキチンと経緯や理由を説明して間違ったことに関して軌道修正をはかったりするのが「叱る」であり重要なことですよ、ということ。そういった場面で「怒る」は確かに適切ではない。
がしかし、怒ること=ダメなこと、ではない。
また「心に余裕があれば、怒らずに叱ることができる」というのも同様。
心の余裕の有無で入れ替わる言葉(同義)ではない。

私が「叱る」を使わなかった理由

前述のように、目上の人間が(目下に対して)教育や示唆を与える行為が「叱る」である。
私はあくまでも「怒り(と痛み)」について書いた。上下関係などない状態で、むしろ相手に対してぶつける感情(とその裏の感情)について、だ。
これは「感情的にモノを言うこと」とか「癇癪」と捉えられがちだけれど、めったやたら感情を爆発させることばかりではない。
少し大げさな例えになるが、殺人事件で被害者の遺族が持つ感情は「怒り」だ。これを「叱る」に等しく置き換えられはしない。


いつの間にか何に対しても「怒ることはダメなこと」になってしまった気がするが、喜怒哀楽のなかのひとつの感情であり、忘れてはいけないことだと思う。
自分の感情を押し殺すことだけが美徳だとは、私は思わない。