続・重要なのは「食事を楽しめる」相手かどうか?じゃないかな

「女子力」の弱い女とケチな男 について感じたことを。


「それ言っちゃ身も蓋もない」かもしれないけど、私が思うに
「奢らなくちゃ」とか「奢られ(奢らせ)なくちゃ」という人と
食事をしなければよろしい。それだけ。

  • 奢る・奢られるに固執しすぎて、本来の目的を見失っている。

前述の内容とかぶるけど「一緒に食事をしたい」と思うんでしょ?
食事代=楽しい会話や食事をした対価、だと思えないのかな。

  • 食事代を持ちたくないような相手(女性)をなぜ誘うんだろう?

アフターディナーに「俺が奢った(買収した)んだから」とでも
言いたいのなら、そうでもしないと女性がついてきてくれない
男性だって自分から公言してることになると思うんだけどなぁ。
素敵な男性なら女性は食事代がどっち持ちだろうが関係ないよ。
(単にイケメンかどうか?という問題ではない)

  • 誘われた女性は堂々としていればいいと思う。

誘われた時点で、自分は「エスコートされた側」なんですよ。
なにを「わ…私も払わなきゃ」とか「ど…どうしよう!」なんて
気を遣う必要もなければビビる必要もない。
そんなおどおどする暇があれば、誘ってよかったと思われるように
女を磨けばよろしい。
あと「コイツとは貸し借りしたくない」と思う相手と食事するな。
自分の価値を過小評価していることにもなりかねないと思うし、
そんな価値のない男性と食事するくらいなら、家でピザの宅配でも
とって一人で食べるほうがよほど美味しいに違いない。

  • 男性に「奢るよ」って言われた時のキモチ。

恋人ではない男性(友達)に「メシ食いに行かない?奢るよ」と
誘われることもあるけど、OKするか「ごめん」というかの基準は
「奢ってくれるから」ではなくて、その人と「食事をしたいか?
(時間を共有したいか)どうか?」だと思う。
単に「今日(またはその日)は都合が悪い」というのは除いてね。

  • 男性が「奢るよ」と言う時のキモチ。

前述の男性が最初に言った「奢るよ」は「俺から誘ったんだから、
気兼ねせずにおいで」という気遣いやエスコートの意思表示だと
思うし、照れ隠しもあるかもしれない。
少なくとも私の周りに「俺が奢らなきゃいけないのか。ちぇ」とか
「奢るのやだなー」とか言う男性はいない(と思う)。
…っていうか、氏の日記を読んで、男性は実はみんなそんな風に
お財布の中をのぞいてため息ついてるの?というのが驚きだった。

  • 一種の情報提供料や同伴「ちょっと付き合ってよ」の場合

一人では入りにくいお店、というのはやはりある。
もちろん、お互い一緒に食事してもいいと思える相手、というのは
大前提なんだけど、下見がしておきたいとか、どうしてもその店の
食事を久々に食べたいなとか、そんな時に「奢るよ」というのは、
男性・女性どちらもあるよね。それは声をかけた側が払えばいい。


結局、氏の日記に対しての返答にはなっていないのかもしれない。
あと、無理やり氏の日記にあてはめれば、私は「女子力の強い女」
なのかもしれない。ちっとも嬉しくないが。
それならばいっそ性別は関係なく「一緒に食事して楽しい相手」と
言われたいものだ。


そっか。(ここから追記)
自分がお金を出したくないケチ男は「私が食事代を払ってもいいから
一緒に食事して」と言わしめるイイ男になればいいんじゃない?