<equalityの所在>

東大和市が争う姿勢 鈴花ちゃん入園拒否訴訟

 のどの障害に対応できないことを理由に入園を拒否したのは
不当として、東京都東大和市の青木鈴花ちゃん(5つ)と両親が、
同市に認可保育園への入園承諾と300万円の損害賠償を求めた
訴訟の第1回口頭弁論が10日、東京地裁(鈴木正紀裁判長)で
開かれ、市側は争う姿勢を示した。
 東京地裁が1月25日、鈴花ちゃん側の主張を認め、入園を
仮に義務付ける決定をしたことを受け、鈴花ちゃんは2月から
登園しているが、両親は正式な入園承諾と賠償を求めている。
 訴状によると、鈴花ちゃんは気管の病気のため、のどに気管
チューブを装着し、定期的にたんを吸引する必要がある。
認可保育園への入園を希望したが、市は吸引が医療的行為に該当し、
対応できないとして昨年、2回にわたり入園を断った。
(共同通信) - 3月10日12時45分更新

障害を持つ子供の親は、みな「ウチの子も平等に」と訴えるが、
幼稚園児や保育園児の心理を考えると、たとえ「たんの吸引」という
"処置"であっても、先生が特定の誰かに(自分よりも)手をかける
ことを、ちゃんと理解し納得するかどうか?は疑問に思う。
また行政側が「医療行為に該当する」と拒否するのは「万が一の事が
起きたら責任を負いきれない」といった含みもあると思う。
事故が起きればまた「訴えられる」のだから。そして、両親は自分の
子供の平等性(equality)を訴えているが、養護施設に通う子供に
ついては、どうとらえているのだろう?もしも「あんなところへは
入れたくないから」と思っているのなら、それこそ平等を声高に叫ぶ
のは間違っていると思う。障害があってもきちんと教育を受けられる
base(環境や人材)があるのが養護施設だと思うけれど、私が認識を
間違っているのだろうか?


このコメントに関して賛否両論あると思うが、言いたかったのは
「何をもって"equality"とするか?」ということだ。