<キミは孫悟空?>

誰しも子供の頃に一度は見聞きしたであろう「孫悟空西遊記)」。
自らの神通力を過信して有頂天になった孫悟空が、お釈迦様に挑戦して
三千世界の果てまで行き、柱に名を記して勇ましく戻るも、その柱は
お釈迦様の指であり、全ては掌の中の出来事にすぎなかった…というお話。


自分は何でも悟ったようなつもりになって「己の考え=正論」と思えば、
それは所詮お釈迦様の掌の中にいる孫悟空と同じ。
なまじ学がある人ほど、自分が得た知識の中でなんでも判断しようとする
傾向がある(判断できると思っている)と思う。
もちろん「経験則」というのが判断の礎になることもあるが。


こういった人を見かけては、孫悟空より気の毒だなぁと思うのは
「キミは掌から出ていないのだよ」
「三千世界というのは、キミが考えているほど小さいものではない」
そう教えてくれるお釈迦様がいないことかもしれない。
しかし、五行山に500年も閉じ込められることもないわけだから、
掌の上を心地よしとして楽しく過ごしていけば幸せなのかもしれない。


井の中の蛙 大海を知らず」という諺がある。
井戸に住む蛙がその中で幸せに暮らしていくのは決して悪いことではない。
井戸の外の世界を知らずにケロケロと楽しそうに鳴く蛙を
不幸に思うかどうかは、それを外から眺める者の思いだけなのだから。